風の歌を聴きながら

韓国語レベル万年中級者の気まぐれ翻訳ブログ。

Woo WonJae ウウォンジェ - ソウル (DAZED KOREA)【和訳】

ソウル 서울

 深夜1時20分。僕は最近毎日のように江辺北路の上にいる。頭の中に「早く退勤しようぜ」という思いしかなさそうなマネージャーのおかげで、窓の外の風景は壊れたモニター画面のように過ぎ去っていった。それでもソウルは美しかった。元暁大橋だか麻浦大橋を渡りながら見る漢江は特に美しいが、高くそびえ立つビル群が川に映りゆらゆらと液体になったような光景は毎日見ても壮観だ。ソウルらしい、やたらに明るいLEDの光も川に沈むと柔らかな色とりどりの糸のようだった。耳が痛くなるほどにギターの音量を上げた曲と、タイミングを見計らって吸うタバコは一日の疲れを溶かしてくれる。そうしてふと、変な気分になった。絵具を溶かしたようなあの川の中の風景が、僕が認知する周りの現実の姿に、より近いということを感じた後だった。あそこにハッキリと見える63ビルディングではなく。


 夢から覚めたら現実がやって来る。それはあまりにも当然のことで、別に思考が必要なことではなかった。しかし、その二つの違いを尋ねたとして、誰が易々と答えることが出来るだろうか。結局、僕にとっての夢と現実の境界は崩れてしまった。問題にするから問題になるという状況のようだが、正確に言うと、問題の方から僕に近づいて来た。問題がやって来た翌日から、訳の分からない虚無感に陥った。様々な感情の変化に順応し、自分なりに立て直すことには長けている人間だと思っていたが、これは決して簡単な状況ではなかった。かと言って周りの誰かにこの話をすれば、戸惑った表情と向かい合い処世術に近い文章を聞くことになるであろうことは分かっていたため、Googleを起動した。僕は違いを知りたかった。何が違うんだろうか。違わないとしたら、果たしてそれらは何なのだろうか。幸いなのは、世の中の多くの人が僕と同じ悩みを抱えていたことで、僕は容易く対処法を知ることができた。そうして数日探しているうちに、どんな意味かも分からない単語がぎっしり書かれた物理学の論文みたいなものを見つけた。まあ、だいたい30%くらいは理解したけど、結論は厄介なことに「違いはない」ということだった。正確には、夢ではなく仮想現実と現実には差がない、というある教授の言葉だった。何であれ虚無なことには変わりなかった。うーん、ではどうすればいいのだろう。先に述べた対処法を全て試してみる中で、結局僕は酒に溺れた。何杯かの酒だけで、すっかり酔ったまま深い眠りを貪る癖がついてしまった。そうして繰り返される酒の席で、たまたま仲のいいお姉さんに会った。世の中に精通しているかのような彼女は、僕がこんな状態であることを聞き、頷きながら突拍子もなくヨガを勧めてきた。


 僕の幼い頃の記憶のうち、最も印象に残っているのはこれだ。十歳くらいの頃、学校を終えて家に向かっていた。いつものように日が傾き、太陽は空に赤い天幕を下ろしていた。その瞬間、突然僕の体の穴という穴すべてに得体の知れぬ無力感が入ってきた。誰も支えになってくれないということを確信した。家に着いた僕は電話を抱えてわんわん泣いた。一体なぜ人間は生き、死ななければならないというのか。母は大丈夫だよと言葉をかけるだけで、決して僕の慰めにはならなかった。中学生の頃までは周期的に、こういう立ち向かうことの出来ない虚無を感じていた。日が燦々としている昼に眠りにつき真っ暗な夜に目を覚ました時も、祖母の若い頃の写真を見た時も、よく摘んで食べていた桑の木の新株がアスファルトの駐車場になった時も。そしてそのすべての変化に差異はないということを知った時も。


 世の中の大部分は曖昧だ。境界が分かりづらい雲のように、もしかすると当然で、あるいは空虚である。夢と現実はもちろん、いくつかの二分法的な定義はすべて同じことだ。僕はナントカ主義者の姿を匂わせるのにはうんざりだから常に自分の足をシーソーの中央に乗せているけれど、人間の脊椎がある程度曲がっているのはどうしようもない。誰かによって命名され、定義されたものは決して全体を含めることは出来ない。一方的に使用されてきた常識と客観性という言葉は、最近の時代とはかなり距離があるように見える。社会というものは必要に応じて作られてきた一つの大きな構造に過ぎず、そこから自由でありつつも他人に害を与えない対象になることが重要なようだ。僕の元へ集まったすべての情報を余すことなく受け入れ、ただ僕にだけ当てはまる真理を作り、友人たちが作った彼らだけの真理が何なのかも、幼い子供のように気になってくる。レンギョウと黄梅の違い*1は知識が作る。全て同じレンギョウだと言っても構わない。美しさに喜びを感じることだけで十分だ。ただ虚無で不安でしかなかった対象は変化なく変わった。わんわん泣いていた小学生が大人になり、世の中が正としない死について自分だけの心理を作るように。その過程は単に自分の面倒を見ることから自然と生まれた。まさに、日陰に根を張り身動きの取れないマサキ(柾)が日の光に向かって枝を伸ばすように、隅っこのどこかから仏教音楽が流れてくるかのようなのろく生ぬるい空間の中で、この過程は相対的に簡単だった。彼女の勧めがまったく胸によく響く部分だ。夢から現実に来たといって始まった朝、それから夜中1時頃、江辺北路の上にいるところまで。僕は鋳型の態度で数多くの溶鉱を経験する。僕だけのしっかりとしたインゴット(鋳塊)を作るために。*2


 差がないようで異なる超然さと虚無感、そして数千億のビルと漢江の上の水彩画ソウル。相変わらず僕はその間に立っている。

 

 

*1 調べたところ、どちらも黄色い花を咲かせる中国原産の樹木であり、レンギョウは「モクセイ科レンギョウ属」、黄梅は「モクセイ科ソケイ属」で、レンギョウのほうが花びらが細いとのこと。

*2 個人的に分かりにくかった部分。比喩表現なしに訳すとたぶんこんな感じ。「 僕は確固とした態度で多くの経験を積み重ねる。僕だけのしっかりとした軸を作るために。」 

 

 

〈終〉