Woo WonJae ウウォンジェ インタビュー(W Korea)【和訳】
'Black Out' 우원재 더블유 10월호 화보 & 인터뷰 | 더블유 코리아 (W Korea)
2020.09.25
生きている(ウウォンジェ)
鳥は単に卵の殻を割って出てくるのではなく、そこから出るためにもがく。その後は、自分らしい目標に向けて必死に羽ばたくことだけが残っている。ウウォンジェは、自分だけの静かな奮闘の中で、初ステージのスポットライトを浴びただろう。今や、ウウォンジェの熾烈な人生について説明することが出来るのは、ウウォンジェ自身と、彼の音楽だけだ。
撮影の間かけておく音楽をあなたが準備してきた。それに応えつつ、ウウォンジェらしい雰囲気を作り出すために私たちもボリュームを思い切りあげた。
DJになった気分で自分なりに順番にも気を遣った(笑)。僕だけでなく様々な人が集まって働く現場なので、あまり沈んだ雰囲気になりすぎてはいけないと思って。
最近ヒップホップコミュニティーではウウォンジェとAOMGの再契約の可否が話題だ。あなたが<Show Me The Money>に出演した直後にAOMGに入ったから、もう3年経ったか?
再契約するだろう。今は細かい部分について話し合っているところだ。
どんなコメントがあろうと<Show Me The Money>を結局見た理由は、まさに、あなたみたいな人を見つける楽しみのためだ。ウウォンジェは、このシーンにどんなラッパーがいるかほとんど知っている人たちにとっても新たな衝撃だったから。8月18日に初のフルアルバム<Black Out>を出した。2年前のEP<AF>の作業後、どんな経験を積んだか?
どのように仕事をすればいいのかを学んだ。ひとりで音楽作業をしてひとりで聴いてっていうのは、いくらでも楽しく簡単に出来る。でもそれが作業になったら、自分の音楽を音源サイトを通してリリースすることからひとつひとつ、全てが仕事だ。僕はどうしてもそのあたりに関しての理解が浅く大変だった。なんとなくあれこれやって出来たように見えても、実は法に反していたり、思ったようにいかないことがとても多かった。
Code Kunstがあなたについて「<Show Me The Money>が懐妊した男」と紹介したことがあるが、懐妊という単語が気に入った。輩出や出産という表現だとウウォンジェ自身よりも<Show Me the Money>の方が重要な役割を果たしたような気がする。
はは。あのヒョン、なんの考えも無く言っただけだと思うけど?
「なんの気無しに」でも、あなたの能動性に無意識に気付いたCode Kunstの考えが反映されたものだと信じる。AOMGという和やかな騒がしさからウウォンジェが生み出した音楽の話をしよう。アルバムタイトルの<Black Out>の意味は何か?
大それた意味や緻密な計算のようなものはない。僕は記憶力が全く良くない。だから記録するように、その日その日に感じたことを音楽に込めている。各曲がその曲を書いた当時の自分の姿のようだ。そうして曲をずらーっと集めてみると、当時の自分の姿がある程度蘇るけれど、その姿は鮮明と言うよりは、夢で見ているような、連想される、という気分だったから<Black Out>とつけた。
自分が言った言葉や状況はよく思い出せないけれど、感情がどうだったかという事実くらいは少し思い出せる?
全部夢のようだ。僕がやったのではなく、他人がやったような感覚というか。「僕があのときそんなことをしていたっけ?」と、びっくりすることが多い。会うのは2度目なのに、初めて会う人かと思うようなこともよくある。
忘れていたというのは、それほどあなたにとって重要ではなかったということだからだろうか?
それも理由のうちのひとつだと思う。あと最近になってようやく気付いたことだが、実は僕は、自分の考え事だけでも忙しくて精一杯な人間だ。自分の内側が感情や思考でぎっしり詰まっているというか。でも過度な状態だとは全く思っていなかった。コンピューターは重くなりすぎると故障する。僕はどこで誰と一緒にいても、いつも独り言を言っている感覚だった。外に吐き出した言葉と行動がどんなもので、どんな意味を持つのか、しっかり理解できていないまま生きていたんだと思う。
ウウォンジェは歌詞と叙事だけでも衝撃を抱かせるラッパーではないか。自身についてよく理解したうえで吐き出している言葉がほとんどだと思っていた。理解していると思っていたが、そうではなかったということか?
そうだ。僕自身についてだけでなく、何かを「分かった」と言うこと自体にだんだん慎重になってきている。ある人にとっては「分かっている」というその確信が原動力にもなるだろう。
アルバム作業をしている間、最も大きな悩みは何だったか?
歌詞だ。歌詞も、毎日、毎瞬間、感じたことを解いて書いている。ある状況を設定して、シナリオを書くように作り上げることに対して興味を感じられないから。
では、時間が経って完成した曲をレコーディングしている中で修正したい部分がたくさん目につくのではないか?
だから僕は歌詞を完成させたらすぐにレコーディングする方だ。歌詞を書いたときの感情と似たような感情になったときとか。問題は、人の考えはどうしても変わるものだから、時間が過ぎると自分が書いた歌詞が変だと感じるし、その内容が誰かを傷付けるかもしれない、という思いにもなりながらしょっちゅう葛藤と衝突していることだ。その過程を繰り返していくうちに、歌詞を書くこと自体がしんどくなってしまった。捨てたトラックも多い。でもある時、何かを表現する人間として、ある時点での自分が真剣だったならその時の自分を恥じることをやめよう、という考えに至った。その全てが僕だから。
毎月原稿の締切に追われている人間として、その内面的な葛藤と、書いては捨てるという行為を繰り返す苦しみがわかります。文章や日記を集めて本を出す考えはないのか?
文章を書くことは好きだし、僕も自分の日記が好きではあるが、だからといって本を出そうとは思わない。読書家なわけでもないし、何かを最後まで読むってことが出来ない。
特に大事にしている本はあるか?
数ヶ月前に読んだ小説<デミアン>。冒頭だけ何度も読んだ。冒頭が好きすぎて続きが気にならないくらいだ。
主人公シンクレアが完全で完璧な自分を探すために既存の世界を壊していく、という流れがあなたとよく合う。創作をするときは「何」と「どのように」の問題があるが、あなたはどちらにより関心があるか?文章で例えると、素材とテーマが「何」に該当するだろうし、それを「どんな方法で表現するか」がその人の文体やスタイルに該当するだろう。
「何」についてなら、僕は毎日それに囚われて生きている人間だ。生と死について常に考えている。宗教はないが、小さい頃から仏教的な教えを受けて育った。宗教も哲学であり、神や誰かが「こうするべきだ」と言った内容を教科書のように作ったものが宗教である、というハッキリしない理解をしている。そういう部分も参考にしながら、自分だけの基準を繰り返し考えるタイプだ。でも、より悩むのは「どのように」についての問題だ。自分の考えと基準、そのいくつかの枝を音楽的にどのように表現するべきか。最終的にメッセージを、幼稚さを感じさせないように伝えたいという悩みだ。
霊的なものに関心はあるか?楽しんでいるコンテンツはあるか?
数学と科学が好きだ。これらの学問が究極的に解明しようとしている問題はある意味すべて、宗教的なものと関連があると耳にした。人間がどこからどうやって来たのか、世界がどんな原理で形作られているのか、など。
数学専攻者たちにとっては「数学は答えがあるから良い」という言葉を何度も聞いた。
僕もそうだ。数学と科学には結論が定められているものが多い。これは危うい発言かもしれないが、僕は、僕たちが事実だと思っている命題がたった一日で変わり得る、と考える。究極の真理を探すための議論が全ての学界においてあるだろうし、まだ真理を探せていないのなら、何事も一瞬のうちに変わる可能性もあるだろう。
天動説と地動説がそうだったように?そういえばあなたとグレイ、ロコは弘益大という工学系大学出身の3人組だ。土木工学科は適正に合っていたか?
合わなかった。全然面白くなかった(笑)。でも工学系大学以外に行けるところがなかった。当時は、大学は当然通うものだと思っていたし、卒業したら就職をするものだと思っていた。もちろん、土木工学関連の会社に就職しようと考えたことはなかった。
家族はあなたがミュージシャンという職業に就き、有名になって喜んでいるか?
日によって違うが、みんなそれほど喜んでいないことの方が多かった(笑)。お母さんはいつも僕のことを心配していた。仕事中のお母さんに電話して、「お母さん、人はなぜ死ぬの?」って言いながらわんわん泣いたりするのを中学生までやっていたから。学校では「あまりにもたくさん質問をする」と先生から怒られたこともあった。僕が先生をからかっていると思ったようだ。だからお母さんは僕が考え事をしないで過ごすことを望んでいた。
創作する仕事をしていると、どうしても考えが尾を引いて戻れなくなることが多いから心配なさったのでは?
そうだ。なにも考えるな、とよく言っている。でも今はもう諦めたようだ(笑)。しかも最近は色んな話を僕と出来ると言って喜んでいる。
お母さんが言ってくれた言葉の中で記憶に残っているものは何か?
「目を閉じればないことになる。目を開けて見るからあることになるんだ」。今も100%は理解出来ていない言葉だ。感情を区別して考えなさい、とよく言っている。嬉しかったり悲しかったりというその感情は大事だけれど、感情はある意味で人間の限界を意味する。憂鬱で悲しいからと言って間違っているわけではなく、単にそういう感情になっただけだ、区別しなさい、という話だ。
ウウォンジェのありのままを認めて自分をより好きになったきっかけはあるか?
あるとすれば、世間が妥当だと決めた基準からちょっと自由になったとき。例えば、Radio Headの音楽だからレベルが高いだとか、そういうのを好きでなきゃいけない、みたいな物差しがある。でも自分が聴いたときにRadio Headよりもドゥルグックァ(들국화)の方が良ければ、僕にとってはドゥルグックァの音楽の方がレベルが高いことになる。少なくとも音楽においては、世間に通用している正しさや誤り、良さや悪さ、かっこよさやかっこよくなさみたいな物差しから、以前よりもはるかに自由になった。
<Show Me The Money>に出演したときは応募動機に「有名になりたいから」だと書いていた。有名になって嬉しいか?
嬉しいこともたくさんあるし、受け入れなければならないこともたくさんある。確実なのは、有名税というものと馬が合わない人間は、有名になるだけ大変だろうということ。
アーティストとして失いたくない態度は何か?
自分が特別だと思わないこと。
なぜ?私が知っているラッパーの多くは、どんな形であれ「自分は特別だ」と言っているが。
全ての個々人がみんな違っていて特別だ。だから僕に特別な部分があったとしても、それをあえて主張はしない。誰かが「これは自分だけが持っている」と言ってかっこよさを押し出してきたら、そのかっこいい「違い」を認めたくなくなるのが人間の心理だと思う。自分は特別だと感じながら作業をしたとして、その作業がどれほど気持ちのこもったものになるのかもよく分からない。特別ではないと考えることが、結局は特別になり得る道だ。
アルバムの最後のトラック「Fever」にこんな歌詞がある。「善い人は幸せになることを願う、悪い人は善くなることを願う」。勧善懲悪を信じるか?
信じる。でも、善い、善くない、という概念は状況が作るものだと考える。僕たちは生まれたときから既にある状況に置かれているし、その状況は自分の意志で避けることの出来ないものでもある。「状況がなくなる状況」というのは可能だろうか?ありえないことだから、ありえたら良いなという思いで書いた歌詞だ。
たくさん稼ぎたいという思いはどれほどあるか?
これまでたくさん稼いだと感じる。もっと稼ぎたい。今この瞬間の気持としては、もっと有名になりたいし、もっと多くの人に僕のアルバムを聴いてもらえたら嬉しい。
どんな欲であれ、ウウォンジェの欲は支持したい。
うわ、それはすごく心強い。ありがとう。
<終>