風の歌を聴きながら

韓国語レベル万年中級者の気まぐれ翻訳ブログ。

HYUKOH ヒョゴ オヒョク インタビュー(ARENA) 【和訳】

 

뮤지션 오혁 인터뷰 : 네이버 포스트

2018.01.18 

 

ミュージシャン オヒョク インタビュー

 

 ヒョゴは昨年4月、初のフルアルバム〈23〉を発売した。〈23〉はこれまでの作業に終止符を打つアルバムだった。タイトル曲「TOMBOY」が音楽チャートで脚光を浴び、海外ファンが一緒に口ずさむ。ヒョゴは世界に旅立った。アジアや北米、ヨーロッパで単独ライブを開催し、ソールドアウトを記録した。冬になりようやく韓国に帰ってきヒョゴは「本当の愛と幸せを探す方法」に頭を悩ませていた。ヒョゴのオヒョクに会った。

 

2017年はどのように過ごした?

 上半期はアルバムを作るのに費やし、下半期はそのアルバムツアーをした。そうやって過ごしていたら1年が終わった。

 

4月に初のフルアルバム〈23〉を発売した。フルアルバムを出すのに2年かかった。2年間見てきた世界にはどのような変化があったのだろうか?

 大きな変化はなかった。僕が見ていた世界はそのままで、初めて立場を固めながら変わっていくものに適応して過ごした。その時期を振り返ってみると、自然なことのようだけれど実は...初めて接することばかりで、高揚感と同時に、不慣れゆえの怖さも感じた。高揚感と不安感、どちらも感じていたと思う。

 

期待しながらも不安なこと。それは幸せな刺激だろうか?

 その時期が過ぎたからこそ話せるのだと思う。アルバムを作っていた2年間は本当に大変だった。心理的に受け入れる準備が出来ていない状態で不安が押し寄せてきた。負担が大きくて、その当時は楽しめなかった。もう出来ないと思う。

 

TOMBOY」が地上波の音楽番組と音源チャートで1位を記録した。特に地上波の音楽番組はアイドルが1位になることが多い場所なので意味深い1位だ。世代が、そして時代が変化していると感じた。

 韓国音楽市場は奇形的だ。K-POPは韓国の大衆音楽だけれど...。大衆音楽は大衆が好きな全ての音楽を指す。でも実際はそうなっていない。だから地上波の音楽番組で1位を取り、賞をもらうことは嬉しいことだが、一方ではそのシステムに惜しい気持ちもある。

 

 オヒョクにインタビューすると言ったら、周りの人たちがオヒョクは青春のアイコンだと言っていたよ。

 運が良かった。タイミングがちょうどだった。韓国にユースアイコンは常にいるが、ユースというキーワードが浮き彫りになったのはここ数年だと感じる。ユースというキーワードが浮き彫りになった時期に僕たちの音楽がユースの二面性を語り、自然とかみ合ったのだろう。

 

ユース、つまり青春はキラキラしたものと不安が混在している。だとすればオヒョクを輝かせているものと不安にさせている要素は何か?

  二つとも音楽かな。自分が歌った音楽を通じて輝かしい時間を経験することができたけれど、その音楽を作っている間、不安が付いてくる。輝かしさより不安の方が大きかったと思う。時間が過ぎてみてようやくあの時が輝いていたんだと分かった。

 

2017年も同じだった?

 2017年は違った。初アルバムに対する負担がかなり大きかった。バンドにとって初アルバムはとても重要だ。僕たちはフルアルバムがないにも関わらず多くの人に自分たちの音楽を届けてきた。だから負担が増していた。

 

 その負担は振り払えた?それともずっと感じていくもの?

  悩みの種だ。周りの音楽をやっている人たちに話してみたら、どうしようもないものらしい。負担を手放せばある程度ラクになるが、ラクになれば余裕が生まれ、自分が得ようとしているもののうち諦めければならない部分について悩む時間が生まれるだろう。そうなったら音楽のレベルが下がってしまいそうだ。だから負担を手放すことが出来ない。いずれにせよ、悩んで揉めて成果物を作っていく過程を無視することは出来ないからまだ悩み中だ。

 

TOMBOY」の歌詞がとてもきれいだ。インスピレーションを得たものはあるか?

 色々ある。周りで起きたこと、自分が経験したことから得る。歌詞やメロディーは音より見た目から影響を多く受ける。だから映画をよく観る。以前は本を読んでいたが、本は長く読む必要があるけれど映画はすぐにインスピレーションを得られる。僕は音楽を作るときに対象がハッキリしていないとダメだ。頭の中で整理ができていないと作業が出来ない。人々がこの曲を聴いたときの気分、季節感、状況など細かなことを決めるとひとつのシーンが出来てくる。そのシーンを頭の中に具現化するのに映画が役に立つ。

 

〈23〉には若い作家たちが何人か参加した。彼らと継続的に作業し、他のミュージシャンとのコラボも続けている。オヒョクは新人芸術家たちと群を成し、これまでになかった新たな流れを引っ張っているように見える。一部ではニューウェーブとして受け入れられている。

 その点を念頭に置いた。小さいころに好きだったミュージシャンたちは近くに良い友達がいた。他の分野で活動する芸術家たちとお互い友達になって会話を交わし、インスピレーションを与え合いながら共に成長する姿をよく見た。バンドを初めて始めたとき、ダダイズムのメンバーたちと一緒に作業した。それが始まりだった。ヒョゴのアートディレクターをしてくれているノサンホ作家と参加作家たちをどうやって決めるか悩んだ。現代美術作家の中から巨匠を除いて10年後成功してそうな人、正確には僕よりは一世代上の方たちと作業出来たら良さそうだなと考えた。〈23〉は10年後売れてそうな作家たちと協業して作った。

 

志が通じる人に出会うことは難しい。

 僕は自分から近づくタイプではない。そんな性格にも関わらず、良い人々に出会えたことは本当に幸運だった。

 

 彼らがオヒョクに魅力を感じるほどにオヒョクが努力したんだろうと思う。作家たちもまたオヒョクからインスピレーションを得ただろう。

 ずっとそうやってインスピレーションを与え合えたら嬉しい。

 

 一緒に作業している作家たちと叶えたい目標はあるか?

  今みたいにお互いに失望することがなければ良いと思う。僕たちの関係はお互いの仕事に対する好感から始まっている。数々の負担の要因のうちの一つだが、僕の音楽が微妙だと一緒に作業している作家たちが失望するような気がする。だからもっと努力するようになる。今はシナジーを発揮している段階だ。僕たちがお互いにインスピレーションを与え合う状況が一番理想的。これからもこの状態を維持していければ良い。それが今の時点での目標だ。

 

5月からワールドツアーを行った。アジアの主要都市と米州地域、ヨーロッパも回ってきた。記憶に残る場面が多かっただろう。

 たくさんある。アメリカを回った時は風邪にかかった。ツアーの中盤だったけれど、本当につらかった。高熱でも公演はした。たしかボストンだった。ヒョゴ誕生3周年の祝福も受けた。北米を回った時はアジア人が半数はいたけれど、ヨーロッパを回った時は東洋人がいなくて不思議な感覚だった。アジアも初めて行く都市が多く、新鮮な経験をたくさんした。

 

インスタグラムで見たが、海外の観客が一緒に歌を歌っていた。公演ごとに合唱シーンを撮る理由は何か?

 初めは遊びで撮ってアップした。次の公演で観客が、なんで私たちは撮ってくれないのかと言ったんだ。そのときから毎回撮ってアーカイブしていたら50個以上集まった。この動画たちで何か新しいことが出来そうだ。そこだけ切り取っても曲一曲分になる。

 

休むことなく新たな作業をしている姿が見事だ。海外のヒョゴファンを見ると、いわゆるYouTube世代、1990年代以降に生まれた世代に見える。彼らは国籍や言語が違っても同じ文化を共有している。

 その通りだ。それでも異なる国だから違いはある。ヨーロッパは静かに盛り上がると思って公演前に心配していたけれど、酒をたくさん飲んだからかむしろ一番エネルギッシュだった。北米は期待通りに情熱的で、東アジアはどんな感想が出るか分からなかったがよく盛り上がっていた。タイはビールをバケツに入れて飲むのが流行りだ。だらかなのか本当によく盛り上がってかなり楽しかった。日本は特有の情緒がある。曲と曲の間に少し沈黙しているときは何の音も聞こえない。観客の息遣いが聞こえるほどに静かだ。そのような違いがあった。

 

2017年、刺激を受けたものは何か?

 ツアーだ。ワールドツアーをしながら可能性を見た。ツアーをしながらこんな観客がもっと増えたらいいなと思った。僕たちの音楽を好んでくれる人が韓国を超えて他の場所にも増えたらいいなと強く思った。オンライン上で海外ファンの反応を見ることと、海外ファンと直接対面してエネルギーを感じることは異なる。だから刺激を受けたんだと思う。

 

地球の反対側に位置する、初めて訪れる国の人々が自分の綴った歌詞を一緒に歌ったらどんな気分になるだろう。確実に刺激になるだろうね。

 SNSをしていると海外ファンがコメントをくれる。「あなたたちの音楽いいね」「私はロンドンに住んでいるんだけど、あなたたちが公演しに来てくれたら嬉しい」こんなコメントがしばしばある。文字を読むのと実際に海外の観客たちと対面して一緒に歌うのとでは全く違っていた。不思議だし刺激になった。

 

年末コンサートのタイトルが「本当の愛と幸せを探す方法」だ。つまるところ、その方法とは何だ?

 分からないからタイトルにした。一緒に悩んでみようという趣旨だ。〈23〉を準備しながら考えた。〈20〉と〈22〉で悩んだ情緒をもう人々が消費して新しい内容でアルバムを作るべきか、それともフルアルバムがないからこれまでやってきたことの終止符を打つアルバムを出すべきか悩んだけれど、後者を選んだ。終止符を打って、さらに新しいことをしよう。人々が幸せだと言って僕もときどき幸せになるときがあるが、じゃあ絶対的な幸せとは何かと考えた。幸せの基準値というのはどの程度で、どこに到達したときに初めて幸せだと感じられるのか。だから次のアルバムには幸せな話を込めようとしたけれど、人はそう容易く変わらない。それならば幸せを感じる過程を探して行こう、という趣旨から公演のタイトルをそのようにつけた。

 

どんなミュージシャン、どんな人になりたいか?

 楽しいことをかっこよく長くやろう、が究極的な目標だ。ずっと楽しくは無理だし長く続けることは大変だ。それでも僕がこれを守り抜ければ成功したということだ。2018年に新しいアルバムが出ると思うが、気に入るアルバムになれば嬉しい。ツアーもやるだろうし色々な都市で楽しい公演になればとも思うし。そんな目標がある。

 

オヒョクはニューウェーブだ。穏やかな時代にオヒョクが起こす波は青春を揺さぶった。数年前ユースが浮上し、ユースに人々は注目した。輝かしさと不安感を同時に大事にするユース文化が流行のように広がり、彼らの心情を代弁する曲が登場した。ヒョゴだ。ヒョゴのオヒョクは青春の二面性を歌った。時代はオヒョクに注目した。彼が青春のアイコンのように輝き、ファッションブランドはオヒョクとのコラボを試みた。オヒョクはゆったりとした大きな服を着て、若者たちはオヒョクのファッションを真似し始めた。写真家たちはオヒョクと一緒に作業し、海外有名ファッション誌ではオヒョクが表紙を飾った。作家たちはオヒョクを求め、オヒョクは自分のクルーを作った。デビューから共にしているダダイズムを始めとして、〈23〉では若い作家が多く参加し、インスピレーションを与え合った。オヒョクを中心としてファッション、写真、芸術家たちが波紋のように集まった。オヒョクは10年後成功してそうな作家たちだと言って彼らと成長を図る。これがオヒョクのスタイルだ。オヒョクというニューウェーブは韓国を越え、世界を揺さぶっている。私たちはその瞬間を見逃すまい。

 

〈終〉

 

作家≒クリエイター、という感じのニュアンスで読んでいただければと思います。